東京都杉並区荻窪の住宅地に佇む「荻外荘(てきがいそう)」は、昭和戦前期に三度内閣総理大臣を務めた近衞文麿の旧宅です。建物としての価値に加え、政治の重要な局面を伝える場所として、2016年3月に国の史跡へ指定されました。
この邸宅は、東京帝国大学医学部教授で大正天皇の侍医頭も務めた医学者・入澤達吉の別邸として、1927年に建てられました。設計を担ったのは、築地本願寺などで知られる建築家・建築史家の伊東忠太です。

庭から読み解く荻外荘の外観
芝生と樹木に包まれた外観は、平屋を主体とする建物の水平線を際立たせます。庭に向かって広く開かれた窓や広縁によって、室内と屋外が緩やかにつながることも荻外荘の魅力です。正面から眺めるだけでなく、庭を歩いて角度を変えると、和風の屋根、洋風の窓、増築された部分が重なり合う姿が見えてきます。




「楓荻荘」から近衞文麿の旧宅「荻外荘」へ
創建時の名称は「楓荻荘」。1937年に入澤達吉から近衞文麿へ譲られ、近衞の後見人であった元老・西園寺公望によって「荻外荘」と名付けられました。1940年7月には、第二次近衞内閣の組閣をめぐる「荻窪会談」が客間で行われ、1941年10月にも重要な会談の舞台となりました。
終戦後の1945年12月16日、近衞は書斎で自決しました。書斎はその後も大きく改変されず、当時の姿を今に伝えています。
- 1927年―入澤達吉の荻窪別邸として創建
- 1937年―近衞文麿へ譲渡
- 1940年―客間で荻窪会談
- 1941年―荻外荘会談
- 1945年―近衞文麿が書斎で自決
- 1947~1948年―吉田茂が仮住まいとして使用
- 2016年―国の史跡に指定
伊東忠太の視線が息づく、和と異文化の意匠
荻外荘は木造平屋を主体とし、一部を二階建てとする延床面積541.22㎡の邸宅です。和室、茶ノ間、食堂、客間、書斎、広縁などが連なり、日々の暮らしと来客への応対を受け止める構成を備えています。

なかでも印象的なのが、中国風の意匠でまとめられた応接室です。床には龍を表した敷瓦があり、天井には4枚の龍の天井画が配されています。日本の伝統的な住宅空間に異文化のモチーフを取り込む構成には、世界各地の建築を研究した伊東忠太の視点が表れています。


和室、来客用手洗、蔵に残る暮らしの記憶
畳敷きの和室には床の間や建具、造り付けの収納が残り、昭和初期の邸宅で営まれた日常を伝えます。華やかな応接空間と静かな和室が一つの邸宅の中で共存することも、荻外荘を歩く面白さです。


来客用手洗は同時代の洋式トイレを参考に復原された展示です。蔵には近衞文麿の居住期に使われた生活用具をはじめ、漆芸、金工品、書画などが保存されています。


広縁と幾何学模様の窓が庭を切り取る
広縁や廊下を歩くと、建築と庭の近さがよく分かります。幾何学模様を組んだ窓は、外からは外観のアクセントとなり、室内からは緑を切り取る額縁になります。窓辺の椅子やテーブルの配置からも、庭を眺めて過ごす時間が大切にされていたことが想像できます。




荻外荘の利用案内とアクセス
荻外荘は午前9時から午後5時まで開園し、最終入園は午後4時30分です。休園日は水曜日と年末年始。一般の観覧券は300円、小・中学生は150円です。館内では、ARによる荻窪会談の紹介、VRで見る近衞時代の庭園、ガイダンス映像も用意されています。
JR中央線・東京メトロ丸ノ内線「荻窪駅」南口から徒歩約15分。関東バスやグリーンスローモビリティも利用できます。専用駐車場はないため、公共交通機関での来園が基本です。
荻外荘は、一人の政治家の旧宅であると同時に、伊東忠太の建築、昭和初期の生活、そして日本の政治史が交差する場所です。部屋の意匠だけでなく、庭との距離、来客を迎える動線、時代の記憶をとどめる書斎まで丁寧に歩くことで、この建物が受け継いできた重層的な価値が見えてきます。
※利用案内は提供されたパンフレットの記載に基づきます。開園時間、休園日、観覧料、交通案内等は変更される場合があるため、来園前に施設の公式ホームページ等で最新情報をご確認ください。